※ツイッターの方でつぶやいた話なんですが、結構インプレッションが付いたのでブログにもう少し詳しく書いておきます。

 
映画やドラマの脚本の中には観る人を感動させたり、「ゾワッ」とさせたり、カタルシスを起こすような型がいくつもあります。そんな中で以前から僕が好きなの型の一つが「これが後の忌野清志郎である」みたいな「のちの誰々」パターンです。ものがたりで描かれてきたこのフォーク少年(清志郎の場合)と自分が知っているその人の人物像とが一気に繋がって、なんか「ジャジャーン!」となるようなこの瞬間にカタルシスのようなものを感じるのです。

 
それはさて置き、この前「もののけ姫」を観てふと発見した、もしもの「のちの誰々である」パターンがこちら、「このアシタカが後の足利尊氏である」(↑イラスト)です。

 
説明するのはヤボですが、足利尊氏(アシカガ タカウジ)。当然、名前のもじりからの勝手な妄想ですが、どうなのかな?時代的にも近い感じがするので、もののけ姫のその後、アシタカが本当に足利尊氏になって天下を治めるストーリーなんて。

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