昨日、こんなツイートをしたんです↓


 日経サイエンスに載っていた記事を読んでこんな感想をツイートしたんですが、ホントはもう少し先の妄想を書きたかったのです。日経サイエンスさんにリツイートされるとその先のフォロワーさんの目にも触れるので、あまりへんな妄想は書けないと思い、妄想の方はこちらのブログの方だけに書こうと思います。

〜〜ここから妄想〜〜

 その妄想というのは

このように『身体の方では自分ではない膨大な数のウイルスが自分の細胞と一体となって私を形成している』となると、心の方だってそういうことがあるのでは?
ということです。そもそも「自分の心は一個」という捉え方すらへんなのかもと思ってしまいます。心は数えられるものなのでしょうか?どうやら心には一個に統合する作用があるようで、自分には心が一つであると見せてかけていますが・・・。 なんとなく「意識の素」のようなものがたくさんあって、それらを統合したものが意識、心というものになっているという気がしています。そしてこの「意識の素」は単に脳細胞の電気信号だけではなく、脳細胞以外の細胞にだってあるような気もしますし、体中の化学物資の状態にもあるかもしれない。そして最初に紹介した論文からすると、体内に共生している”自分以外の存在”のウイルスからも影響を受けているのではと。そのウイルスも含めて自分の心となる。そうなるともう「自分とは何?」という感じになります。そんな妄想をしたのでした。 生物学者の福岡伸一さんは「動的平衡」という話で「体を構成する物質は1年も経てば全部置き換わる」と言っていました。自分という確固たる物があるという考え方は実は間違えで、常に入れ替わっている「現象」に過ぎないということ。僕の上の妄想も同じようなことなのかな。確固たる「自分の心」が存在していると感じているけど、一度疑ってみるとその自信が無くなってきます。心もただの動的な現象と捉える方がいいのかとぼんやり考えました。