先日、大泉学園にあるアニメーション制作スタジオにお伺いして見学する機会がありました。いま朝ドラの「なつぞら」で注目されているからというわけでもないのですが。以前から知り合いに誘われていて、またアニメ制作にも興味があるのでおじゃました次第です。テレビでスタジオジブリやヱヴァンゲリヲンの庵野さんの制作会社など紹介しているのはチェックしていたので、なんとなくどんなものかは知っていたのですが、実際にカット袋の山、鉛筆で描かれた動画の現物などを目にするとちょっと感動しました。

 こちらで関わっているアニメはメジャーな作品も多く、積んであったカット袋の山は誰もが知っている人気作品の劇場版だったし、アニメーターさんがまさに描いていたのも○HKさんで今放送しているやつでした。

 想像していたのと違っていたことは、もうみんなコンピュータで作業しているものだと思っていたのに、ライトボックスが仕込まれた「動画机」で紙に鉛筆で動画を描いていたこと。また、色分け部分の指定には色鉛筆を使って描くのですが、この色鉛筆も原稿を汚さないために特別なH(ハード)のものを使っているということでした。このようなアナログ(手描き)は原画〜動画のところまでのようで、さすがに「透明セルに絵の具で色付け」ということはもうしていなくて、そこはデジタルになっているようです。

 とにかく、この鉛筆と色鉛筆の原稿の「原稿としてのかっこよさ」があってグッと来るのですが、実際の作業としては一つの画面のなかでたくさんの登場人物がいて各々がわらわらと動いていたら、一人ひとり(場合によっては何人かまとめるんだけど)別の動画用紙に動きを描いていくということを想像するとどれだけ大変なのか気が遠くなります。

 あと、日本のアニメーション業界の問題とかのお話を聞いたりしました。一昨年くらいに日本のアニメ映画のヒット作が続いたりして盛り上がってきている感じがしているのですが、昔からの問題も残っていて難しい状況にはあるようです。僕は日本のアニメには期待しているので、よい作品ができるといいな思います。

※ツイッターの方でつぶやいた話なんですが、結構インプレッションが付いたのでブログにもう少し詳しく書いておきます。

 
映画やドラマの脚本の中には観る人を感動させたり、「ゾワッ」とさせたり、カタルシスを起こすような型がいくつもあります。そんな中で以前から僕が好きなの型の一つが「これが後の忌野清志郎である」みたいな「のちの誰々」パターンです。ものがたりで描かれてきたこのフォーク少年(清志郎の場合)と自分が知っているその人の人物像とが一気に繋がって、なんか「ジャジャーン!」となるようなこの瞬間にカタルシスのようなものを感じるのです。

 
それはさて置き、この前「もののけ姫」を観てふと発見した、もしもの「のちの誰々である」パターンがこちら、「このアシタカが後の足利尊氏である」(↑イラスト)です。

 
説明するのはヤボですが、足利尊氏(アシカガ タカウジ)。当然、名前のもじりからの勝手な妄想ですが、どうなのかな?時代的にも近い感じがするので、もののけ姫のその後、アシタカが本当に足利尊氏になって天下を治めるストーリーなんて。