最近、無洗米を買っても一応一回くらい研いでしまいます。
この「洗わなくてもいいのに洗ってしまう反射」はアライグマだ。たしか「あらいぐまラスカル」でスターリングに角砂糖をもらったラスカルが角砂糖を洗ってしまって溶けてなくなってしまうシーンがありました。なので、あらいぐまラスカルもたぶん無洗米を洗ってしまうだろうな。同じだな。と思ったわけです。
では、無洗米対応したラスカルというのはどうだろう?ということで、「無洗ぐまラスカル」を描いてみました。もうなんにも洗わないラスカルです。
イラストでは人の似顔絵を描くことも多いので、人の顔の特徴を捉えるのがわりと得意だと思っていて「あの人とあの人って一般的には言われていないけど、共通点がある顔」とか思うことがあるのですが、実は人の声もわりと「誰々の声」と言い当てるのが得意だと思っています。テレビなんかでタレントの人がナレーションをしている番組では、番組冒頭で↑写真のようにテロップが出る前に「あっ、これは誰々だ」と結構当てられます。でも普通のレベルがわからないので、実はこのくらいは普通なのかもしれませんが…。
ちなみに前からちょっとひっかかっていたのですが、永作博美さんのナレーション(NHKの宇宙ものの番組のナレーションをよくしています)。ちょっとしっくりこないんだよな・・・。女優として嫌いなわけではないですが、ナレーションがちょっと。
あと、増田明美さんのナレーション。朝ドラの「語り」が評判で、他にもテレビ東京の「日本に行きたい人」でもナレーションをしていますが、マラソンから完全に異分野へ。意外な才能を発揮されていてスゴイです。
「自分ら世代にとっての👩(誰々)は自分の子供世代(30歳下と想定)にとっての👧(誰々)だ」という話。
この夏、aikoの「かぶとむし」をヘッドフォンをした女学生が歌うCMがありまして、今のあの世代にとってaikoの「かぶとむし」は昔の名曲という認識なんじゃなかろうか?と思いました。そして、僕が前から提唱している「若い人達にとってのaikoは自分らにとってのイルカなんじゃないの説」を思い出したのです。
もっと他にも「あの世代の○○はわれわれにとっての○○」というのがあるんじゃないか?
「今の10代にとってのゆずはわれわれにとっての○○」とか。10代から見たらゆずも40歳おじさん大御所アーチストといったところでしょうし。
このような観る目線の差から同じような構造を見つけることで、新たな気づきがあったりしてオモシロイのです。また、べつの「👩(誰々)は👧(誰々)だ」説を発見したら発表したいと思います。