
ツイッターでコーヒー豆を自分で焙煎している人が「手焙煎マンドリン深煎り」って投稿していたんです。「コーヒー豆はマンデリンでしょ」と思ったのですが、僕もちょっと前までキッチリ把握していなかったという話↓。
※さすがにマンドリンとは勘違いしない。
ぼんやりとマンデリンとマンダリンを同じようなものと捉えていた(数年前まで)。
コーヒー豆の品種(生物学的「種」ではない)の一つがマンデリン。インドネシア産でマンデリンはインドネシアの地方の名前だそうです。
一方マンダリンの方はマンダリンオレンジとか、マンダリン航空とか、マンダリンホテルとかで聞くことがあります。なんとなく同じ東南アジアっぽい印象だからマンデリンと同じ感じで捉えていたんですね。別ものだと考えもしていなかった。マンダリンとは元々は「中国官吏」の意味だそうです。なんじゃそれって感じ。中国の役人。そこから「中国の〜」や中国語を指すようにもなったそうです。知らなかった。





なんとなく「意識の素」のようなものがたくさんあって、それらを統合したものが意識、心というものになっているという気がしています。そしてこの「意識の素」は単に脳細胞の電気信号だけではなく、脳細胞以外の細胞にだってあるような気もしますし、体中の化学物資の状態にもあるかもしれない。そして最初に紹介した論文からすると、体内に共生している”自分以外の存在”のウイルスからも影響を受けているのではと。そのウイルスも含めて自分の心となる。そうなるともう「自分とは何?」という感じになります。そんな妄想をしたのでした。
生物学者の福岡伸一さんは「動的平衡」という話で「体を構成する物質は1年も経てば全部置き換わる」と言っていました。自分という確固たる物があるという考え方は実は間違えで、常に入れ替わっている「現象」に過ぎないということ。僕の上の妄想も同じようなことなのかな。確固たる「自分の心」が存在していると感じているけど、一度疑ってみるとその自信が無くなってきます。心もただの動的な現象と捉える方がいいのかとぼんやり考えました。

